長野さんについて


代表のひとりごと編集者/柏子見

人の死生に絡む因縁めいた話は多い。

例えばうちの父方の祖母の命日は3/31なのだが、その日は晩年介護をした僕の母の誕生日でもある。
感謝の気持ちと共に、自分を忘れないで欲しいというメッセージが込められていた様な気がする。

父が亡くなった時はお正月で、しかもお葬式は記録的な大雪が降った日だった。
葬儀に来てくださった方は大変だったと思うが、未だにその光景は忘れられない。
そしてお正月は家族が集まるので、毎年おのずと父の話題が出る。
やはりそこにも自分の事をずっと憶えていて欲しいという想いが込もっている気がするのだ。

そんな事がいくつもある。
自分の勝手なこじつけかも知れないが…

オフサイドには、その昔、長野さんという方がいた。
厳密にいえばオフサイドのスタッフではなく、自分で会社を立ち上げられていた外部の方だったが、
ほぼ毎日の様にオフサイドに来て打ち合わせをしていたので、最初は社員かと思っていた。

仕事は何をしていたかというと、主に家庭紙メーカーの商品開発やパッケージ、コンサルなどやっていたのだと思う。
オフサイドは、そのデザイン部分を担っており、僕も若い頃は随分仕事をさせてもらった。

長野さんの面白いところは、消費者視点のマーケティングをベースにした商品開発だった。
キレイにデザインさえできえば良いと思っていた当時の僕には新鮮な考え方だった。
その後、正解の無いデザインをどうクライアントに説得するかという事にすごく役に立った。

また仕事だけでなく、月一回自由なテーマで話し合う「ハンズ会議」というものを催していた。

オフサイドスタッフが持ち回りでテーマを決め、長野さんと当時社長だった安藤さんがオブザーバー、サブカルからデザイン論まで内容は多岐に渡り、オフサイドのユニークな一面だった。
長野さんは人と話すのが好きで、対話の中から様々なアイデア引き出し、組み立て行くタイプだった。
それはかなり晩年になってから聞いた、孤独だった長野さんの生い立ちに大きく起因するものの様でもあった。

いずれにしてもオフサイドにマーケティングという概念を持ち込み育てたのは、長野さんの功績だと思っている。

僕が30代のある時、知り合いから大きなクライアントの仕事の話が持ち込まれた。
若く経験も無い自分達の手に余る仕事だったので、困って長野さんの任せたいと、相談したことがあった。
ところが長野さんには、けんもほろろに断られた。
途方に暮れ、やむなく自分達でやったのだが、結果的にそれが自分達の自信と成長につながった。
あの時に長野さんが受けていたら、僕の人生は少し変わっていたかも知れないなと思う。
そんなターニングポイントになる出来事だった。

その長野さんが亡くなったのが2013年の今日、7年前の2月25日だった。
実はこの日は僕の結婚記念日でもある。
忘れると色んな意味で大変な日だ…(笑)

毎年この日になると、白いヒゲを擦りニヤリと笑いながら、
「柏子見くん、俺の事を忘れとらんだろうな?ちゃんと頑張っとるか?」
と話しかけられているような気がするのだ。

 

公開日/2020年02月25日



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