No.25 千と千尋の崖の上


脇道映画館 〜わたしのジブリ〜編集者/柏子見

ごぶさたしてます、幽霊部員です。昨年は近所の公園で虫取りタモを持った女の子がふりかえったら顔面大きなマスクで覆われていたことにSFを感じましたが、今年はベビーカーの赤ちゃんにランニングマンをやってあやしてるお母さんを見かけたり、自転車でやってきた青年がジョウビタキを教えてくれたりカワセミを見たり、園内のステージで武田信玄が出てくる浪曲を繰り返し歌うおじいちゃんに出くわしたりと、ホッとしています。しかしながらこんなオラが村のいつもの日常に出くわすたび、何に対するウィズコロナなのかが強度を増していくので、ウィズをはじめて知った国生さゆりwithおニャン子クラブ以来のウィズの刷新を感じ、意味でも記号でもなく概念からの変化に時にめまいする今日このごろです。と、以降こんな感じでまとまらない読みづらい駄文が続きます。(まとまらない理由は、何年か前に入手した厚さ5センチぐらいある宮崎駿「出発点1979〜1996」を開いたところ、積極的には観ていないジブリ作品に思いの外、自分がハックされていたことに気づき動揺し、文章を書くにあたってあらゆる角度の軸と観点が生じ、それらをまとめあげる時間もスキルもないからです。破綻。でも、この数行ですら背景や行間にぼくはぼくの中で膨らんだジブリを感じているので、一刻も早くこの文章を書きあげ、公園へ行って神社を参ってジブリ抜き、をしたいところです。念のためジブリが好きとか嫌いとか、そういうことでもないです)

とまあ、こんなふうに無意識/意識的に世界を好きに紡いでは毎日をのんきに生きているわけですが、今回ジブリ作品についてなんやかんや書くということで、いろいろと頭をめぐらせ、資料をたぐりネットリサーチを試みました。映画はときおり観ますし気になるものがあればアニメ作品も観ます。映画はぼくにとって音楽やアート同様にそれらに触れる楽しさや気づきを与えてくれ、時に世界の見え方を補強してくれたりもします。オラが村でのほほんとしてたぼくが世界を強く意識するようになったのは、明らかに大学2年が終わる1995年1月から3月で、ジブリらしきものとの最初の遭遇はその11年前、半ズボンからすらりと御御足伸びる小学3年生は1984年の3月頃です。いまは無き劇場、納屋橋の名宝会館にあったアニメショップで、「風の谷のナウシカ」のパネルと賑わう店内を見て、「お兄さんやお姉さんが見るやつなんだろうな」と、思ったことを覚えています。ぼくはトライダーG7、とんでも戦士ムテキング、イタダキマンなど、浮かれ調子のTVアニメが大好きでしたし、その日は親に用事かなんかがあって、映画「ドラえもん のび太の魔界大冒険」に放り込まれたのでしょう(これは調べました。あと、うまく書けないので省くのですが、ぼくが日頃冗談まじりで人に話す育った環境のこと、ではない、それ以外の幼少期と大学時代に接した環境・ひと・学びについて話せばジブリ好きの極右にロックオン、もしくはウインクされると思いますし、いろんなことの消化/昇華に知力と時間を要し、今回は考えも文章もまとまらない状況に陥っています。そんな大げさなこと?と思われるかもしれませんが、それが過去に観たジブリ数作品、特にもののけ姫、千と千尋、ポニョ、風立ちぬで個人的にひっかかった部分だったりもするので、すごいな!ジブリ)。と、話を戻して、オモチャで売り出されそうなロボットでもない、人のかたちのまじめなナウシカパネルと客層から年長者を対象とした作品、と思うのはもっともだと思いながら、上記TVアニメのOP・EDをYOUTUBEで繰り返しては人生100年時代を生き抜く我が源泉だと、まとまらない文章を前に一服どころではない一服を繰り返し、当時のお兄さんお姉さん、時代にも、ある種の憂いや疲弊、綻びがあったりしたのでは?と勝手に想像します。しかも今年の聖バレンタインデーには、NHKで80年代を代表するヤング向け番組「YOU」の「100回記念 気分はもう21世紀人」なる回が再放送されていました(映画ナウシカ公開後の1984年6月の放送分で、ナウシカ漫画版はその数年前に始まっています)。オープニングイラストは大友克洋、司会は糸井重里、坂本龍一のラジオ番組も同時放送するという、当時の言葉でいうところの「翔んでる」構成で、ゲストは原田知世、日比野克彦、鴻上尚史、遠藤政伸、そして中沢新一、と、詳しくは知らなくともプンプンプンと醸し出されるある種のアトモスフィアに、あのころの歌謡曲2曲に言葉を借りれば、ぼくの思考回路はショート、頭の電源抜いてあげたい、です(どちらも松本作品と知り、驚愕)。そして番組のなかで当時の若者たちが注目する人物や作品のリストがずらりかなりの数、映し出されたのですが、そこには宮崎のミも高畑のタもナウシカのナもなく、エッジのきいた各界著名人を前に嬉々とする当時のお兄さんお姉さんの姿に、この文章、もうまとまらないなと、(そして)僕は途方に暮れるのでした。

今回は本当にすみません。再度アクロバティックな書き方をしますが、タカシくんと呼ぶキヨコの声が聞こえてきます(ここはジブリじゃない方にもハックされてたその時代のひと、という見立てで検索してみてください)。ひとつだけ、少しはまとまった筋っぽいもんを残すとするならば、ぼくはいまも昔もずっと同じエリアに暮らし(ここがひとつのキモなんですけど、ヒヤヒヤする内容でもないのにその情報をネットに正しく記す技量はないし、現状その内容と歴史に触れたものは見つからないし、誰もが知るここら辺のあの話でもないし、ジブリ好きの極右に以下同文)、自動車産業となぜかアニメ、日本が世界に誇る二大分野をゴリ押しする県に住んでいます。「千と千尋の神隠し」で「祠」を認識したうえで当時の若者自慢の「四駆」で森を爆走し、トンネルを抜け、テーマパークの「残骸」と語った千尋の両親たちは、ご存知の通り、「豚化」されます。(あの冷めたお母さんは科捜研・沢口靖子にしてベスト3に入る名演です!)。ぼくは幼少期、長久手の「青少年公園」が大好きで、キャンプやオリエンテーリング、アスレチック、サイクリングにゴーカート、ビデオ鑑賞、そしてコロネをモチーフにした手塚治虫プロデュース「フジパン・ロボット館」、の、出口にあったオンボロ人造人間にドキドキわくわくしたものです(なお、フジパン・ロボット館は1970年に開催された大阪万博で公開されたもので、その後フジパンの拠点である愛知に移設されたものです)。青少年公園は2005年、愛知万博の会場となり、モリコロパークとして整備され、現在は2022年オープン予定で「ジブリパーク」の工事が進められています。テーマパークの残骸だと語り、豚化された千尋の両親を、ぼくは80年代のナウなヤング組のなかでもナウシカが刺さらなかった層と見立て、あれやこれやと空想します。でも、ジブリパークは映画読みのくだらないそんな見立てではなく、県とジブリによるリアルです。愛知万博のとき、あえて言い換えますが、愛・地球博のとき、ロボット館のレトロなロボットたちがいくつか残されていて嬉しかったです。数年前たまたま寄れたサツキとメイの家は、トトロに熱心なファンでもないので、舞台の再現性に感心するというより、タンスの引き出しをあけたり締めたりしては自分に幼少期の自分を感じていることに気づき、不思議な感覚を覚えました。ジブリパークがオープンし、落ち着いたころのよきタイミングで行くとしたら、ぼくはおそらく50歳。きっとまたロボット館のロボットを探し、千尋のシーンとじぶんの幼少期を思い、場合によっては「ここでは働きたくありません」。とかなんとかいっちゃったりする可能性が大いにあります。(なお、青少年公園時代、キャンプで使った飯盒と鍋を何度も何度も洗い直せ!ってふてぶてしく叱ってきたカウンセラーのお兄さんの顔はいまでもなんとなく思い出せます)

絵を描き、それを動かし、マジックを起こす。コロナ禍の昨年からいま現在、多くのひとは歴代興行収入記録を塗り替えたかの作品の漫画と映画で、それを経験しています。モニターのなかでゼロから最後まで映像をつくれるようになったのに、エフェクトのパートはいまだに「撮影過程」というらしく、いっときは「漫画」でまとめられることもあったアニメが、原義を含みながらいまもアニメとされていることに、ぼくは強く意義を感じます。というか、ぼくにしてみれば絵でも実写でも、どんな映画もアニメです。みなさんのスマホに収めた数分に満たない風にゆれる花も水面をつつく鳥も、ケーキを前にした子どものバースデーも、それを見せられて子が反抗期を反省するそのときも、ぜんぶアニメ。そして、締め切りも過ぎたのに、あたまに柏子見さんの似顔絵が浮かんでるのに、このあと打合せに出なきゃいけないのに、ここにきてちょっとずれたもう一個をぶっこみますが、「かぐや姫の物語」をぜひ一度、大きめのモニターで音声を消して観てください。幼少期から刷り込まれてきたお話だからこそ、そのときぼくがいうところのマジック、がより大きく感じられると思いますし、あわせて同年に公開された「ゼロ・グラビティ」でそれを試したりしても面白いかもしれません。(いや、単に2013年生まれのこの2作を2本立てで普通に観るのも、広がり・奥行きが生まれてなかなかいいもんです)。
原作本の題名をタイトルに、その本が主人公にとって大きな意味を持つ話にする、とされる宮さんの次作「君たちはどう生きるか」や、宮さんについてのあれこれ、そして高畑さんの最期など、考えたい、書きたいたいことが溢れてきます。ジブリファンでもないのに。まとめず、野放しにしてすみません。それではみなさまの読解力とハートのサーバー容量にずるく甘え、期待しつつ、バルス!と書き込み、締めとさせていただきます。ありがとうございました!

2021年2月17日
近藤 孝

公開日/2021年02月17日



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