No.2 ゲド戦記


脇道映画館 〜わたしのジブリ〜編集者/柏子見

好きなジブリ映画はいろいろとあるのですが、その中でも特に「ゲド戦記」が心に残っているのは、主人公アレンの置かれていた状況に非常に共感したせいかなと思います。公開当時はいじめや若者の自死等が取り沙汰されていたころでもあったので、宣伝にも使われていたテルーの「命を大切にしないやつなんて大っ嫌いだ」というセリフになんて素晴らしいんだと胸を打たれていたような気がしますが、アレンのバックボーンを考えると、いやそんなことを言わないであげてほしい、と今なら思ってしまいます。

テルーの言う、命というか、「自分を大切にする」というのは、アレンを含め、私の知っている人たちにとってはとても難しいことのようです。
私の知る人たちは自虐ネタが得意な方が多いです。「私は全然できませんから」とか「僕はダメなので」といったようなことを平然と言う方が多いです。それが自分の価値を下げてしまう、自分を大切にしていない行いだということは気にも留めていないかのようです。

アレンも自分を大切にすることは大変苦手のようでした。狼から身を守っていた次の瞬間には死んでしまってもいいやと思ったり、そのくせ捨て身でテルーを助けようとしたり、やさしさや思いやりはきちんと持っていて、他者にそれを与えることはできていたのに、それを自身に向けることはできていませんでした。アレンの場合は生育環境が大きく影響していたように思います。為政者としては優秀だったかもしれない父親と、その父親に恥じぬ王として息子を教育することに熱心だったであろう母親。アレンは「偉大な為政者」になること以外に自分の価値を見出すことができなかっただろうと思います。

自分の価値を自分で認め、自分を大切にできる力を、「自己肯定感」と呼ぶことがありますが、アレンも私の知る人たちも、自己肯定感をうまく育ててもらえなかったのではないかな、と思います。アレンの場合は生育環境で、私の知る人たちの場合も、やっぱりこれまで生きてきた状況が大きく影響しているのではないかなと思います。私は、人の思想というのは多かれ少なかれ環境が影響すると考えています。「自分を大切にする」という考え方やその方法を知れない環境にいたら、いつまで経っても自分を大切にできるようにはならないということです。

アレンは幸運にも「自分を大切にする」ということを当たり前にしているテルーに出会うことができました。それをテルーに教えたテナー、さらにはそのテナーを救ったゲドに教えてもらい、アレンは自分と向き合い大切にする方法を知ることができました。
自分を大切にするためにできることは、技術的にそんなに難しいことではありません。映画の中でもアレンが生きる方法を学ぶところに特別な描写はありませんでした。ただゲドと過ごし、テルーやテナーと過ごし、共に食事をとり、談笑し、共に眠りました。自分が自分であるだけで許される、その幸せを知れたことはアレンにとって、のちに自分を受け入れるためのきっかけの一つになったと思います。

滅私奉公なんて言葉がある文化圏ですから、遠慮とか謙遜とか自己犠牲なんかが美徳とされていた過去もありますが、もう令和です。令和のトレンドは「今日も私、生きててえらい」です。皆さんも自分を大切にする手始めに、今週末は少しおいしいものを食べてみてはいかがでしょうか。それこそ、ジブリ飯などがオススメです。


スタジオジブリの 食べものがいっぱい: 徳間アニメ絵本ミニ


かわいい映画のかわいいレシピ。 (ワニムックシリーズ (91))

2020年8月26日
関根 茉樹

公開日/2020年08月26日



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