No.20 あの素晴らしい衝撃をもう一度
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それについてなんの知識も概念も持ちあわせていないとき、
「それ」すら感知したことがなく、とにもかくにもまっさらなとき、
それに出くわし、衝撃に飲みこまれ、ポカンと固まるときがある。
たとえば、
1978年の【ガムンボ】【コンソメパンチ】
1979年の【つけチョコヤンヤン(現やんやんつけボー)】【ドンパッチ】
1983年の【クロキュラー】
1986年の【ねるねるねるね】
そんなポカンとなった経験のひとつに、1990年の【マッチで書く】がある。
高校時代、芸術の選択授業(音楽・美術・書道)で、ぼくは書道を選んだ。
小学校のころ習字屋に通ってたしおそらく「ラクな授業」と判断したんだと思う。
課題の字をさっと数枚書けば
あとは落書きとかして時間つぶし。受験にも関係ない。
でも教えてくれる側の先生はそうにはいかない。
生徒に名前を書かせ、
みんなの前で書を掲げて名の由来を発表(苦しかったし、いまも苦しい)とか
半紙じゃなく、色紙になにか書かせて押し花1点そえる、とか。
いろんな角度から書に親しみ
教養になるように教えてくれていたと思う。
習字じゃないし書の道なわけだし。
あるときだ。授業にはまったく無関心だったけど、
先生が授業の合間にした小話がひときわ大きく聞こえたときがあった。
先生は普段どおりの話し方、普段どおりの声の大きさ、普段どおりの声のトーンだったのに。
あのー、センセーにも書道のセンセーがいてですねー、
そのセンセーがこのあいだ〇〇展に書を出したんです。
その作品がほんと素晴らしくてセンセーに感想をお伝えしたら、
なんとその場でセンセーが1枚書いてくれたんです、マッチで。
ポカンとした。虚を衝かれた。びっくりした。マッチで。
ふつう、高校生になるまでに
絵筆以外の道具やモノで絵を表現するとか
それこそ幼稚園生のころから経験するじゃないですか。
なのに、墨を使った字に関しては
筆以外のもので書くなんてまったく頭の中になかったわけです。
ほんとポカンとした。虚を衝かれた。びっくりした。マッチで。
生やした髭で髭と書く人がいる、と知ったのはついこの前だけど、
ぼくにとっては1990年の【マッチで書く】の衝撃が上回る。
だから先生、マッチで書いたよ、30年越しに。
2020年3月19日
近藤 孝
公開日/2020年03月19日