おわりに


脇道堂書店 〜わたしの一冊〜編集者/柏子見

脇道堂書店、なんとか無事終わりました。

改めて読み返してみると、色々な発見があり面白かったですね。
例えばコピーライター。
文字に関わる仕事なので、本に対しても人一倍思い入れがあるのかと思っていましたが、
意外にそうでもなかったりして…。
でも逆に文字に思い入れがありすぎると仕事として成り立たないかも知れません。
ある程度文字と距離を置けることがライターの資質として大切なのかも、と改めて思ったりしました。
皆さんはどう感じられたでしょうか?

最初にも書きましたが、今回の脇道堂書店の一番の目的は、
その人のキャラクターを「本」というものを通して浮き彫りにできないか、でした。

現代社会にいれば、本を読まずに生きて行くことはありえず、誰しもかなりの数の本を読んで来ているはずです。
そんな中から、たった一冊しか選べないとしたら、それはその人のキャラクターに大きく関わるのではないのかという仮説です。
実際にそれが当たっているかどうか、執筆者のキャラクターを知る人は照らし合わせてみてください。

そしてもう一つ。
最終回で安藤さんが「シンギュラリティ」について書いていましたが、
それは脇道堂書店の最終回を飾るのに相応しい内容で、かつ隠れたテーマでした。

「シンギュラリティ」の二番目、「文字」を得たこと。

本はまさに「文字」の集合体です。
しかし「本」は目の前に実在しなければ読む事ができません。
それを印刷という技術によっ多くの人が読む事ができるようにしましたが、
それでもやはり拡散には限界がありました。

今、我々はインターネットというツールを得て、
「文字」、つまりテキスト化されたものを、一瞬で世界中に拡散させる力を持っています。
しかも個人レベルでです。
脇道堂書店もインターネットのコンテンツですので、同じ力を持っています。
ただし見てる人はすごく少ないので(笑)大した影響は無いのですが…

しかし僕の経験上、インターネットの文字で感動したことがありません。
ネットだろうが本だろうが「文字」は「文字」のはず。
なぜ感動しないのか?
僕が歳を取ったせいかも知れないし、たまたまなのかも知れない。
ひょっとしら、重みや、紙の手触り、匂い、そしてページをめくるという行為など、
本を取り巻く五感や、所有欲が影響しているのかも知れないとも思ったりもします。

しかし拡散というパワーを得たはずの文字が、なぜ更なる感動を与えられないのでしょうか?

この先、我々の仕事はインターネットが中心になって行くことは間違いありません。
つまりインターネットの「文字」で、本の様に「心をゆさぶる」スキルが求められるのです。
果たしてオフサイドの「ネット文字」は、紙媒体に匹敵する進化を遂げられるのでしょうか?
それこそがネット時代の文字における「シンギュラリティ」ではないかと思うのです。

では、そのためにはどうしたらい良いのか?

常に考え続け、試し続けること、
そして脇道堂でみんなが選んだ本に、そのヒントがあるのでは無いかと思うのです。

2018年3月

脇道堂書店の本棚はこんな感じ。これがある意味、オフサイドの縮図です。

公開日/2018年03月28日



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